第28回 国際ポットラックサロン 2008年2月6日
マエストロ・作務衣・テラモトのメキシコ紀行
語り手 寺本 拳嶺 さん 薩摩琵琶演奏家
◇ いざ Monterrey(モンテレー) へ
地獄へ行くよりも恐ろしい飛行機、海外旅行なんてとてもとても、という寺本さんが機上の人となって、初めての海外旅行に発ったのは昨年11月末のことでした。
薩摩琵琶の演奏をとおして子ども達にも地域の歴史や邦楽の楽しみなど伝える活動をしておられる寺本さんのもとに、ひとつのオファーがありました。
アメリカとの国境に近いメキシコ、モンテレー市から、市が主催する教育プログラムに日本代表として招聘されたのです。
出し物はスペイン語訳「竹取物語」。東京在住のグアテマラ人、アベルさんがスペイン語に訳してみずから語り手に。
I.I.サロンでもお馴染みの、天籟舎・戸水胤山さんの尺八と、寺本んの琵琶が雰囲気を盛り上げました。
◇ メキシコの高い文化レベルに脱帽
広大な敷地に建てられた幾つものパビリオンには、大型バスでやって来た小学生が連日入れ替わり立ち代り「課外授業」を受けていました。
子どもたちに海外の文化に触れさせるというこのプログラムが、コロンブス以来の苛烈な歴史のなかから生れたもの、あるいは失われずに残った、年月に淘汰された文化の本質を身につけたモンテレーの人々の、高い文化、教育意識、レベルによって実行されていたことに寺本さんは衝撃を受けました。
■ 子どもたちの反応は10分もしないうちに飽きてモゾモゾして寝転がるのは低学年の子ども達だけ。
アドリブを挟みながら舞台せましと演じるアベルさん寺本さんの「思いっきり高い、デカイ声」は、びっくりして目を覚まさせるに十分でした。
かぐや姫と帝との和歌のやりとりを演じる寺本さん初めの戸惑いも、回を重ねるごとに消えて、子ども達の心を引きつけ手ごたえは確かなものでした。
■ 市民の反応は最後の一般向け演奏に、市民の反応は総体的に飾りっけがなくて、良い悪いということに関して、率直な反応を示して貰えました。
「それを、新聞でちらっと書かして貰ったのがこれ」という新聞
「壇ノ浦」を語り部の人たちの中で、尺八とあわせて演奏しましたが「それは、それは、反応は直裁でしたよ」とのこと。
「感じ取るものって言うのは、種族が違っても同じように、ちゃんと感じて貰えるんだなっていうことを分かった」ということが初めての海外旅行で、感じさせて貰ったことだそうです。
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以下は、限られた日程の中でのわずかな見聞ですが、という但し書きつきの話です。
■ 寺本さんのメキシコ観メキシコ第3の都市Monterrey市街地は、アステカやインディオの昔からの風景が残り、アメリカナイズされていない街と映りました。
「土着・土俗」を感じさせる風景日本では、建物も人も顔も服装も、アメリカから切り取った、そのままの物がどこにもありますが・・・
■ 「恥ずかしながら、メキシコは日本よりはるかに文化の低いところと思って行ったわけや。
ところが、なんの、なんの。
逆にね、なめられるくらいにレベルが違いすぎ」
「現に彼らがやっている事を見たら、これはもう凄いことやと思いますモン」
「不自由な、条件の悪いなかで、本質が全部現れるということ」
今どきの言葉で言えば品性は、文化的なものに対する意識にすべて収斂されるということでしょうか。
アステカやインカの文明というものに対して非常に、的確に保存・展示しながら外国との交流をしているというところが、まったく無理がなく好印象を抱きました。
写真は去年9月に北陸放送ラジオに出演されたときのもの
メキシコでの演奏を予告されていたそうです。
■ 混血ということ
スペインは、ヒットラーに匹敵するようなむごいことをしましたが、長年のうちに混血して今あるような人たちが存在するわけです。
寺本さんたちの世話をしてくださった男性の、そのまたチーフのルーツは、アフリカから連れてこられた人たちにありました。
その方は、現代アートの最先端みたいなこともしていて、自分のルーツのことを、ちゃんと整理していて、それを自分も演じていたりするという、申し分のないような教養も内に持って文化活動をして、学生たちにも教えていました。
「いや本当にね、非常に謙虚だけども学識豊かで、知性の豊かさがね、もうはっきり分かるような方」でした。
「ふるいつきたくなるほど美しい女性たち」について接木に例えた興味深い考察がありましたが詳細は参加者の間だけに留めておきます。
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伝えたい自国の歴史・文化
~スペイン人がコロンブス以来、アメリカ大陸へ来てどんなことをしたかは、宣教師による本国への報告から、ナチが600万人殺したことの比ではなく、恐らくは億の単位だろうという話から、話題は源平の戦いに及びました。
■ 倶利伽羅の古戦場はナショナルブランド
平家滅亡につながる一ノ谷の合戦や、壇ノ浦の戦いほどに人口に膾炙していないのが「倶利伽羅の合戦」です。
寺本さんは、峠のある津幡町に隣接する金沢市にお住まいです。
日頃、平家物語を弾き語ることの多い寺本さんは、「倶利伽羅の古戦場」は「関が原」に匹敵するナショナルブランドだとおっしゃいます。
■ 「倶利伽羅峠の歌」を広めたい
峠の釈迦堂に近い刈安小学校には、運動会の騎馬合戦で、必ず歌うという曲があります。
◆倶利伽羅峠の歌◆ (クリックするとHPへ飛びます)
源氏方の総大将、木曾義仲の必勝祈願。対する平家の維盛軍7万騎を得て意気さかん。
しかし火牛の計に驚き、あわてふためく平家方。次々と馬もろとも地獄谷に墜落して死んでいく様子など活写され、最後は諸行無常のことばで終る、七五調の歌詞が素晴らしい曲です。
細々と歌い継がれてきたその和歌が刻まれた石碑を、偶然に寺本さんが倶利伽羅を訪れた際に発見して、それに旋律をつけ、琵琶の曲として作品に仕上げました。
■ 金沢市内のある中学校でこの曲を演奏したおりに倶利伽羅の古戦場へ行ったことがあるかを問うたところ、僅かに100人中3人が手を挙げただけでした。
■ 寺本さんには、自分たちの歴史や、現場がどうしてきたということを何にも知らない、という日本の現状、とりわけ子ども達の現状が気がかりです。
教育で、家庭で、共同体の中でやることであるかもしれないけれど、全てのことにおいて、お粗末な状況は沈没船に乗っている気分・・・
◇ 後世への伝え方-寺本さんの提案
■ 「文化果つるような家」に生れて、百人一首のひとつも憶えずじまいで育ちましたので、孫には、百人一首を聞かせにゃいかんと、かあちゃんと話しとるんですワ」とおっしゃる寺本さんです。
「親が少しでも、話をして一度ぐらいは連れて行くことがあってもいいんじゃないか」というものは、それこそ全国あちこちにありますから伝えていきたいですね。
■ 地理的な条件が悪い土地ならば「過疎化したものを売る」という発想にして、たとえば京都の一角を平安京にしてしまって、車もなにも入れない、極端な話、そんな感じの切り替えをする。
能登なども(立派な空港と幹線道路がありますが)誰もが入りにくい、特別の場所やということを売り物にしていけばいい。
こんな処が、今の日本にあるのか、というぐらい酷い状況のところを演出すれば、逆に山ほど人は来る。
そうですよね。「間垣」の奥で,とんでもなくハイカラな暮らしをしていればいいんですからね
◆奥能登の間垣◆ ((クリックするとHPへ飛びます)
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◇ 余談
■「倶利伽羅峠の歌」を、たまたま聴かせていただいたサロンの参会者のひとりが、その作品の素晴らしさに、演奏のお世話を何度かさせて頂きました。
そして、せめてあの地域のひと達に、きちんと受け継いで頂いて、みんなが認識すべきだと、とうとう津幡町の町長さんのところへ乗り込んでいきました。
■ 毎年五月のゴールデンウィークには、小矢部市と津幡町から、それぞれの町長が、鎧兜を着て峠を登り、上の広場で綱引きをするというイベントがあります。
「倶利伽羅峠の歌」が両市町から全国に拡がっていくことを期待しております。(文責:中島)