歌舞伎の世界に魅せられて | 金沢・新おもてなし考

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第29回 国際ポットラックサロン 2008年3月5日(雪) 

語り手 高村 武さん 


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石川県にゆかりの深い「勧進帳」を題材に、歌舞伎の魅力を語っていただきました。



初代中村歌右衛門、そして文化文政期に名優とうたわれた3代目の父親は金沢の出、屋号は「加賀屋」です。



卯辰山にある真成寺が菩提寺、いまも襲名の際には必ず墓参に来られます。



その寺は鬼子母神さんと呼んだ高村さんの遊び場のひとつでした

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一幕見の天井桟敷が定席とおっしゃる高村さんは、弁慶が六方を踏みながら花道をさがるのを、1階まで駆け下りて観たそうです。



ご披露くださったお宝は、戦前の7代目幸四郎の弁慶・12代目仁左衛門の義経・15代目羽左衛門の富樫での舞台録音レコードでした。

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これも愛蔵の手回し蓄音機からは、2つ打ちの柝の音に導かれて笛の音が響きます。

幕開きです。



「かやうに候者ハ加賀の国の住人富樫の佐エ門にて候」と謡曲「安宅」に題材をとった台詞が朗々と響きます。

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 能「安宅」謡本

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地下鉄東銀座で降り、地上に出れば、そこは江戸(旧木挽町)、とすっかりのめりこんだ歌舞伎との出会いは、小松市の「お旅まつり」に上演される「子ども歌舞伎」のポスターや資料を商社員として扱った事でした。

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市川團十郎丈から直接指導を受けることもある、この「子ども歌舞伎」は、衣装、振り付けから全てが本格的なものです。

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http://www.city.komatsu.lg.jp/



衣装は金沢の梅若衣装店が担当しています。

かつて地元の興行主によって上演された舞台の数々がいまに生きているとのことでした。

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地元の金沢大学付属高校では、学生たち自身の手になる歌舞伎が、毎年の開校記念日に上演され、金沢の風物詩ともなっています。

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「彼らは飲み込みが早く体格も歌舞伎向き」で、「そりゃあ、豪華絢爛、見応えがありますよ」とのことです。

舞台はもちろん「講堂」です。

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紙を専門に扱ってこられたご経験から、大正時代の興行の案内や、現歌舞伎座の看板絵を描く鳥居派による役者絵などのお宝も拝見しました。

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現在の歌舞伎の隆盛は、世界遺産の登録。

坂田藤十郎の中国公演、市川團・海老のパリ・オペラ座初演、平成中村座のNY公演など日本文化が海外で高い評価を受けていることに原因があるとのことです。 



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◇この隆盛を支えるものと伝統を受け継ぐこと等に話が弾みました。


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■歌舞伎の世界と相撲の共通点―門閥がある。

グループで興行する

―襲名制度(四股名、名跡、追贈など)

―どちらも海外公演している(問題もあるー柔道の例)


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■ものづくりとの共通項

―老舗企業の多さは世界一

―型を大切にする(本業に忠実)

―島国だから他国からの蹂躙をまぬがれて比較的つながってきた

―常に新しい分野に挑んでいるから続いてきた。歌舞伎しかり、ものづくり然り

―演出家・菅原卓の演出例が話題にのぼりました(中村勘三郎の一人芝居・枠を超えたものを模索していた時期があった)



■15歳の壁

―小さいときからやってきて、ものにならないから諦めなさい、と言える年齢が15歳。転向できる。

―いま工芸の世界は大変なことになっている。

―大学で始めて、30歳の声を聞いて無理だとわかったとき、どうすれば?

―徒弟制度が支えた技術

―我が国の教育制度に問題がある

―伝統は生れる前から馴染んでいる世界



■西洋の演劇に及ぼす歌舞伎の伝統

―かつては少年が女性を演じていたこともある西洋演劇ではなぜ途絶えたのか

―奈落や幕の活用など、歌舞伎は洗練されている

―いま西洋では歌舞伎の手法をさまざまに採り入れている 

万葉集のある国は、日本だけという発言がありました。 

     

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「紙博士」と呼ばれている高村さんの「歌舞伎」によせる情熱にひたすら感服のひとときでした。

実は歌舞伎とのつながりは、小学校3年の頃。

与えられた宿題「郷土の歴史」に選んだのが「義経」でした。

その頃のお住まいは、義経主従が立ち寄ったといわれる「鳴和の滝」の近くでした。



(文責:中島)