◎留用日本人が果たした日中国交回復の裏側◎
新・おもてなし考では初期に開かれた第4回のポットラックサロン(2005年9月)
「留用日本人の娘が語る日中国交回復の裏側」の後日譚です。
お父様が、旧満鉄社員で鉱山技術者だった高沢明子さん(旧姓北村)は、日本の敗戦後も当時の中国共産党から撫順鉱山で炭坑開発に残るよう命じられ、戦後9年間も中国暮らしをした経験をお持ちです。
今で言うところの「帰国子女」のはしりですが、国交がなく、社会体制も違う日中間では、帰国後の社会順応など大変だったと思われます。
しかし、田中角栄時代に日中国交回復がなり、現在の福田総理の父である福田赳夫時代には当時の最高実力者、鄧小平が来日した影には、日中平和条約締結に尽力した高沢さんの弟(北村博昭)さんが深く関わっていたと言うことです。
(条約秘話を綴った「忘れ難き歳月」より)
中国のことわざに「水を飲むとき、井戸を掘った人を忘れない」という言葉がありますが、(「飲水思源」というらしい)日中国交正常化後も、周恩来首相の言葉として良く引用されていましたね。
◆後に立っている少女が当時の明子さん◆
最近、北村家(高沢さんの家族)の写真が載せられた撫順の新聞が高沢さんの当時の友人たちから送られてきたそうです。(1945年8月~1954年9月)
内容は、「中国共産党の胸中と、日本の専門家の心意気が人民中国の建国時に果たした役割は偉大だった」というようなことが記されているのだそうです。
お父様の北村義夫さんが果たした功績と家族の生活の様子についても報じられています。
この新聞を受け取った高沢明子さんは「中国を離れて既に53年経ちますが、今、改めて父の仕事や私たち家族について大きく報道して頂き、感動しています」と話していました。
長女 高澤明子(北村)談
「我的家族離開中国己経五十三年了 直到今日又以巨大篇幅報道了
父親当年曽做過的工作及我家族的生活状況對比 我深受感動!」