第33回 国際ポットラックサロン「新おもてなし考」
2008年8月6日(晴)
Friendship Doll 青い目の友情人形
―桜とハナミズキの知られざる関係も-
語り手:村本 外志雄 さん
「石川民俗の会」村本さんは戸板小学校在職中、永久保存文書の中に「昭和2年 アメリカ人形受領」の一行を見つけました。
そして15年後のページに「焼却処分」の文字も。
石川県に残る3体の人形1927年(昭和2年)
「アメリカから遥々太平洋の波を越えて」(当時の新聞より)やって来た、
およそ1万2000体の友情人形たちの使命と、その後を伺いました。
「国際派日本人養成講座
」より
パスポート持参はユーモア?
石川県には205体が届きました。
金沢市内の小学校で開かれた盛大な歓迎会やって来たのは青い目をした40センチの抱き人形。
ma-maと泣いて金沢の子ども達を大笑いさせたとお礼の手紙にはありました。
英語で書かれた礼状の写し「ママ」とは、金沢言葉では「飯」ですから「ごはんちょうだい」(?!)
子ども達にとってはちょっとしたカルチャーショックだったでしょうね。
「返礼は無用」と発案のギューリック博士でしたが、律儀な日本側(渋沢栄一)は
クリスマスに間に合わせてりっぱな答礼人形58体を贈りました。
ミス石川は振袖姿、立派なお道具一式も答礼人形は倍の80センチで一流の人形師がこしらえたものでした。
髪や衣服が乱れていますが、いじめられたのではありません。着付けができなかっただけです。
◇ 文化の違い?
アメリカでは人形は抱いて遊ぶもの、我が国では古来魂の宿る「ひとがた」。
そのせいでしょうか「人形はスパイである」なんていう感覚が生れたのは・・
人形を抱くHannaちゃん11才(英国チェルトナム市)
昭和18年ごろ反米感情の高まりとともに友情人形を追放する動きがでてきました。
多くの人形が焼かれたり壊されたりしました。
子ども達自身の強い意志も相当に働いたようです。
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そんななか、生き延びた人形が全国で305体確認されています。
石川県は3体、富山県は4体、長野県は28体とダントツです。
逆に福井県、鹿児島県はゼロ。「真面目にやったのでしょうか」と村本さん。
石川の1体は校長が「奉安殿」に隠して終戦を迎え、のち学校の倉庫の片隅に隠されたまま
30年の歳月が流れました。
輪島市西保小のメリーちゃん別の1体は、幼稚園の主任の願いで地元の旧家の土蔵にかくまわれました。
津幡町実生保育園のジェーン・オルフちゃん「人形には罪がない」
人間としての当たり前の感情と「冷静な知性が勇気ある行動」(長野県教育委員会)に結びついた結果の
3体です。
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余談ですがアメリカへの敵愾心を煽るためになされたことは色々あります。
□ 敵性語の追放や、米国から贈られたハナミズキ
(花言葉は友情)が伐られました。
※日比谷公園に植えられた木は、これ見よがしに伐られましたが、小石川植物園、都立園芸高校の原木は
残っています。
*小石川植物園のものはのちに枯死 また原木と見られる木も都内数ヶ所の公園で生き延びています。
♪薄紅色の可愛い君のね 果てない夢がちゃんと 終わりますように
君と好きな人が 百年続きますように… 一青窈「ハナミズキ」より
この歌が「9・11テロ」をモチーフに戦争と平和を歌ったことは、サクラの苗の返礼として1915年に贈られたハナミズキにとっては皮肉な歌とも言えます。
◇「戦争中、英語を禁止した」と言われていますが、文部省にしろ、他の省庁にしろ、明確な「英語の禁止令」を出したことはないそうです。
英語禁止はあくまでも民間やマスコミの過剰な自主規制にすぎなかったという見方もあります。
◇ ハナミズキの木が公的機関で守られたということは、日本の民は「よらしむべし、知らしむべからず」ということでしょうか・・・
人形が少数の気骨ある人たちによって守られたことを考えると、戦後の日本はリーダー教育を誤ったという気がするのですが。 (文責:中島)