「生きやすい場所」が「死にやすい」場所 | 金沢・新おもてなし考

金沢・新おもてなし考

日本人は本当の日本や日本人の良さを理解しているでしょうか?

金沢の街で日本文化を外国の人にちゃんと理解してもらうため、話し合いましょう!

第36回 国際ポットラックサロン「新おもてなし考」2008年11月5日(晴)             

-すべての人が“生きていていいんだ”
    最後までそう思える町に-


語り手:榊原 千秋さん  

小松市在住「いのちにやさしい まちづくりを考える会」北陸支部長        

金沢大学医薬保健研究域保健学系地域・保健看護学分野 助教


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40歳を過ぎて大学人になられた榊原さんは、保健師としての長いキャリアをお持ちです。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さんとの出会いから始められた、介護が必要なひとたちが、いままで暮らしてきた地域で当たり前に暮らせる町づくりを提唱し、実践してきました。


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温泉地が近い小松市では、ちょっとした寄り合いは温泉で開かれます。
介護が必要なひとたちにも、と温泉ツアーから活動は始まりました。

活動に賛同のお寺さんで、詩の朗読会や音楽の演奏会も開催しました。
患者さんの希望での能登半島旅行には、多くのボランティアが榊原さんの呼びかけに応えてくれました。

詩人・谷川俊太郎にALS患者の希望を手紙に託したのも榊原さんです


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◆その時のエピソードが文藝春秋に

最後まで自分が肯定される居場所がある、不自由だけど不幸ではない。
それが人間らしく生きることだと榊原さん。

「手料理」を用意することが榊原さんのストレス発散法です。
ボランティア達は、この料理が目当てで馳せ参じる?とか。

何十人分も!榊原さんの何でも可能にしてしまうエネルギーの源泉は?


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実家は愛媛県。四国八十八ヶ所のひとつ、観自在寺に近く、自宅の茶の間の仏壇に、お遍路さんがお参りする姿を見て育ったせいで、お接待とお節介が身についたとか。


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「ごんぎつね」に出てくる紙ふぶきを散らす葬列は、まさに子供の頃の原風景。

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生い立ちのなせるわざでしょうか、「必ず助かる患者さんだ」と思って介護にあたるという榊原さんが「菩薩さま」に見えました。


   
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21歳のとき、母親の人工呼吸器を止めたのが自分だと気づいた苦しみを、他人に話せるようになるまでに長い年月を要したことを伺いました。
33歳の厄年に、不注意からトラックに衝突、救急車の中での幽体離脱から人はひとりで生きているのではないと現在につながる思いに至ったそうです。

事故の後、いつ死んでもいいと思う暮らしのあと、ALS患者さんとの出会いでいまは103歳まで生きたいと願う榊原さんです。  


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榊原さんのお話に圧倒されてか、サロン本来のおしゃべりも少なめでしたが、死生観がぐらついたという声もありました。(文責:中島)