第38回 国際ポットラックサロン「新おもてなし考」
2009年2月4日(水)晴
越前と若狭の正月 ~神仏への荘厳と儀礼~
語り手 吉川 弘明 さん
金沢には珍しく晴れ上がった立春の日、年始のあいさつから始まりました。
正月といえば、この方。
民間習俗を映像に記録し続けておられる吉川さんにご登場いただきました。
越前からは福井市国山町、若狭からは小浜市犬熊(いのくま)の正月の神事(ジンジ)を紹介して頂きました。
写真 映像に見入るきょうの参加者たち
神事をジンジと呼び習わす行事があることは前回うかがいましたが、本職の神官はジンジには係わらない、ということの意味の重さを今回も感じました。
注:ごくわずかの例外はあるそうです
写真 拝殿の天井をシバの木で埋め尽くす
戸数が13戸の犬熊では、早朝から執り行われるお宮での神事(ジンジ)のあと、ひきつづき集落内の12ヶ所(16神仏)の宮まいりが行われます。
普段は都会に住む若いひとたちも、当たり前のように小雪のなかを粛々と(音声がなかったせい?)最後の阿弥陀堂まで歩きます。
国山町(戸数20戸)では、4年後の神事にむけて月に2回「田遊び」の練習日を設けています。
吉川さんは何度も足を運ぶうちに、古式ゆかしい「田遊び」が、とても真剣な稽古を繰り返して伝承されていることに気づいたそうです。
能や狂言の、謡や小謡の原形は、このようなものかもしれないと思わせます。
人口が減少するなか、また暮らしが変化するなかで、月に2回の神事の練習を続けておられる集落の人々の心の在りようを思いました。
吉川さんはジンジ(神事)という呼称が、集落の自治意識と深く結びついている呼び方であることを指摘しています。
それは祇園祭が中世の京都の町衆の自治権の象徴であったように、小さな集落の自治権の象徴がジンジ(神事)であったろうと補足されています。
写真 初めての棒ふりをつとめる若者
タイトルが入る写真 餅つきの風景
都市部での商業ベースに乗った正月風景とは違う、日本人に古くからある神仏への、荘厳(しょうごん)の心と、儀礼にあらわされる型との一体感を意識したひとときでした。
写真1 犬熊の例
写真 2 白扇を、手をひろげてあおっている朽木村麻生の例
写真3 白扇を手に犬熊と同様のポーズ
それにしても、このような貴重な映像が一般の目に触れることがないのは残念です(サロンのメンバーには幸いなことでしたが)。
(文責:中島)