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金沢・新おもてなし考

日本人は本当の日本や日本人の良さを理解しているでしょうか?

金沢の街で日本文化を外国の人にちゃんと理解してもらうため、話し合いましょう!

第37回 国際ポットラックサロン「新おもてなし考」                     

2008年12月3日(水)晴

「じわもん」の日もあります!-学校給食の現場から-


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語り手:森田 祥子さん 石川国際交流サロン スタッフ・栄養士

石川国際交流サロンに勤務する森田さんは、この春まで3年間、主に金沢市で学校給食の献立の作成に携わってこられました。


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給食といえば脱脂粉乳を連想する我ら。
でも、それすらも美味しかった貧しい時代のモト子どもたち(?)が興味津々で現代学校給食事情をうかがいました。


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最新版の献立表に、全員が感動しました。
甘えびの治部煮風、金時草寿司、じわもん汁に加賀棒茶の水玉ゼリーといった加賀料理の数々。

郷土食の日です。
目を凝らしたけれど「鯨の竜田揚げ」・・・はないですよね!


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栄養のバランスだけでなく、よく噛むための献立までありました。
「少子化」時代のおとなの愛情でしょうか。

ところが、献立によって、あるいは曜日によっては大量の残菜が出るそうです。
その理由もさまざまでした。



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少子化が進む金沢旧市街地の小学校に単独の調理場はありません。
共同調理されたものが数校へトラックで配送されます。

愛情ある運転手さんが運ぶ食缶はゆれが少なく、残菜も少ないそうです。


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 郊外のマンモス校には単独の調理場があります。
調理員のいる学校では時間の融通がきいて、食事を味わうことが出来るようです。

「早くしなさい」は給食にもあてはまります。「食育」という言葉も「指導要領」の前にはかすみがち。

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保護者にも問題は大有りです。
飽食の時代に「いただきます」と手を合わせる事も強制できず、「栄養教諭」という素晴らしい試みも、校長先生の考えひとつで、充分に活用されないきらいもあるようでした。

第36回 国際ポットラックサロン「新おもてなし考」2008年11月5日(晴)             

-すべての人が“生きていていいんだ”
    最後までそう思える町に-


語り手:榊原 千秋さん  

小松市在住「いのちにやさしい まちづくりを考える会」北陸支部長        

金沢大学医薬保健研究域保健学系地域・保健看護学分野 助教


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40歳を過ぎて大学人になられた榊原さんは、保健師としての長いキャリアをお持ちです。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さんとの出会いから始められた、介護が必要なひとたちが、いままで暮らしてきた地域で当たり前に暮らせる町づくりを提唱し、実践してきました。


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温泉地が近い小松市では、ちょっとした寄り合いは温泉で開かれます。
介護が必要なひとたちにも、と温泉ツアーから活動は始まりました。

活動に賛同のお寺さんで、詩の朗読会や音楽の演奏会も開催しました。
患者さんの希望での能登半島旅行には、多くのボランティアが榊原さんの呼びかけに応えてくれました。

詩人・谷川俊太郎にALS患者の希望を手紙に託したのも榊原さんです


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◆その時のエピソードが文藝春秋に

最後まで自分が肯定される居場所がある、不自由だけど不幸ではない。
それが人間らしく生きることだと榊原さん。

「手料理」を用意することが榊原さんのストレス発散法です。
ボランティア達は、この料理が目当てで馳せ参じる?とか。

何十人分も!榊原さんの何でも可能にしてしまうエネルギーの源泉は?


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実家は愛媛県。四国八十八ヶ所のひとつ、観自在寺に近く、自宅の茶の間の仏壇に、お遍路さんがお参りする姿を見て育ったせいで、お接待とお節介が身についたとか。


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「ごんぎつね」に出てくる紙ふぶきを散らす葬列は、まさに子供の頃の原風景。

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生い立ちのなせるわざでしょうか、「必ず助かる患者さんだ」と思って介護にあたるという榊原さんが「菩薩さま」に見えました。


   
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21歳のとき、母親の人工呼吸器を止めたのが自分だと気づいた苦しみを、他人に話せるようになるまでに長い年月を要したことを伺いました。
33歳の厄年に、不注意からトラックに衝突、救急車の中での幽体離脱から人はひとりで生きているのではないと現在につながる思いに至ったそうです。

事故の後、いつ死んでもいいと思う暮らしのあと、ALS患者さんとの出会いでいまは103歳まで生きたいと願う榊原さんです。  


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榊原さんのお話に圧倒されてか、サロン本来のおしゃべりも少なめでしたが、死生観がぐらついたという声もありました。(文責:中島)
第35回 国際ポットラックサロン「新おもてなし考」

2008年10月1日(晴)            
 
壁に庭を造った男
      ~アートも植物も そして 言葉も~
 
              

語り手:中西研大郎さん         


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金澤アートカレンダー「EQUAL 」編集者
    

中西さんは大学を出たばかりのその年に、金沢21世紀美術館 の中庭にある植物の壁『緑の橋』(Green Bridge)の施工のすべてを任されました。

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オープンから4年。今もその管理にあたっています。

これはフランス人植物学者パトリック・ブラン(Patrick Blanc)のガーデン・デザイナーとしての作品です。


その傍ら(?) 北陸のアート情報を発信する「イコール」の編集者、ギャラリー「パラ:サイト」の運営など、
まことにクリエィティブな方です。


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■ それにしても、壁面なのに『橋』というのは・・・どうして?

日本人にとって橋は川を「渡る」もの。
でも欧米人にとって橋は「くぐる」ものだそうです。

なるほど、アルルの跳ね橋を連想しました。
因みに、この作品はガラスの通路を跨ぐように作られています。


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「表」の面には世界の植物が、「裏」の面には地元産の植物が植栽されています。

グローバルとローカルが表裏一体。
文化の架け橋ですね。


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■ 常識を覆す厚さ1センチの垂直の壁に、受注すら二の足を踏む企業ばかりでした。
ベテラン庭師たちの反対や危ぶむ声に「枯れたら植え替えればいい。
それは俺がやるから」と美術館のオープンには、ブランの設計図どおりのものを造らせました。

結果は設計者のプランどおり枯れることもなく、アートとして存在しています。
管理のよさは言うまでもありません。

趣味の海外旅行で得たものは、アートや言葉だけではなく「自分でやる」責任感。
植物の管理などもひっくるめて「愛」と呼ぶしかないといいます。


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■ この作品の施工以後、中西さんの会社「四緑園 」には、「緑の壁」の施工依頼が引きも切らないそうですが、片っ端からお断りしているそうです。


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…研大郎さんのお父様にご案内頂きました。


■ 責任感が「EQUAL」の発行につながる?

発刊から4年になる情報誌「イコール」 は彼のポケットマネーから生れています。

金沢21世紀美術館の現況に危機感を抱いてのことと伺いました。

リピータも多く、入場者数を保っているのは、金沢、兼六園、全天候型建物などもありますが、オープン時に購入した作品の良さと“タダ”で観られる魅力に多くを負っています。

世界の美術館のどこもやったことがない、この「荒業」は、最初のコーディネーターがあらゆる圧力を撥ね返したからこそできたことだと、力説されました。

ところが近頃はテーマパークにレベルダウン!企画展の無さが何よりの証拠です。

自治体の経費削減を考慮しても、多分に公務員化した学芸員の体質には苦言を呈さざるを得ません。
責任者がいない組織の弱さは無責任さにつながります。

コネクションよりもクリエィティブ、誰もがもっと自身の力でやってほしいと強く思っている中西さんです。

「美術も出ていない一人の若者が金沢市の文化政策と対等に戦う気なんだといわれたときに、ペンは剣より・・ということを信じて自らメディアを作るしかないのかな」と思ったことが「EQUAL」の発刊につながりました。


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■ イコールは行こう!につながる

それ単体では役に立たないけれど、右と左に何かをつないでいるような雰囲気を持っているこの記号には、例えば美術館やギャラリーと、それを回る人達を繋ぐような役割としてのイメージがあり、響きとして「美術館へ行こう!」「ギャラリーへ行こう!」そして当然、平等の意味もあります。

併せて「パラ・サイト」を読んでくだされば中西さんが 何を感じ、何を考えている人かがわかります。
テーマは「環境」です。

金澤アートイベントカレンダー別冊「pARa:siTe」

中西「アンチ・エコというのは結局、ニーチェじゃないですけど、単なる非難でしかなくてあっちの言葉を単にひっくり返しただけなのではなくて、もう少し冷静に考えたらどうかな、というようなところですね」           

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今回も、フランス人の分業意識や庭園文化、水や緑への希求度など、よって立っている土俵が違うことをはっきりと意識することができました。

あわせて、ご自分の意識を明確に言葉にする中西さんに、人間の成熟度と実年齢とはまったく関係がないことを深く感じ入ったひとときでした。(文責 中島)


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■ 垂直にしてまで植物を、という感覚は、ど根性ダイコンや、家の前に植木鉢や、盆栽を出しっぱなしでいられる国の民には理解しがたいですね。

中西さんは、バビロンの空中庭園をはじめ、彼らの何処からでも水を持って来るエネルギーには感動するしかないといいます。
土木技術の優秀さも含めて。

我が国は湿度、温度、光の3拍子そろった国。有難みを思いましょう

■ この仕事を通して一番の驚きは?
フランス人アシスタントの分業意識だったそうです。

自分の職掌外の部分については疑問も持たず、「知らん」「関知しない」の一点張り。
棟梁が設計から実際の作業までこなす日本ではあり得ない発想ですね。

よって立っている土俵が違うことを明確に意識したいと思っている「新おもてなし考」のメンバーにとって、これは大切なテーマでした。


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■ 後日取材で四緑園を…


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アートスペース パラ:サイト

ギャラリーの一隅に研大郎さんがキュレートしたコーナーが設けられています。

いわば「研大郎好み」?


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また、入口にも21世紀美術館と同様の緑の壁が設えられていて(植えられている植物は違いますが)垂直面にどのように植栽されているかが分かります。


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(植物を植え込んであるポケットに秘密がありそう…)

興味のある方は、21美と違って触ることも出来ますので是非…

第34回 国際ポットラックサロン「新おもてなし考」2008年9月3日(雨)

定年後は文化の宝庫、金沢で!~「地上の星」が見た金沢~

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語り手:松田 隆一 さん       


「金沢グッドウィルガイドネットワーク」でボランティアガイドをしている松田さんは
「1日が72時間あれば」、と60歳定年を”待ってました!”と受け入れました。


そのココロは?

小樽出身の松田さんからみると金沢はまさに文化の宝庫、知的好奇心を満足させてくれる街だそうです。


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「KGGN=金沢グッドウィルガイドネットワーク 」は”金沢を世界へひらく市民の会”のボランティア通訳ガイド部門から独立し、”金沢グッドウィルガイドネットワーク(KGGN)”が任意団体として会員25名で発足しました。

そして金沢国際交流財団の委託を受けて、外国人旅行客に観光情報の提供奉仕を開始。
去年は1万人を超える外国人観光客にガイドなど情報を提供しています。


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写真 週に一度ここに詰めています。金沢駅構内の観光案内所

400年間戦火に遭わない街というのは世界的にみてもスイスのチューリッヒぐらいですから、と観光客に解説しているそうです。


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写真 マレーシア、インドネシアからの観光客と「ひがしの茶屋街」で

会話から垣間見る人間模様が面白くてやめられない、というのが本音!


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写真 オーストラリアからのお嬢さんたちに

永年磁気ヘッドの研究に取り組んでこられた松田さんは、まさにプロジェクトXの「地上の星」、技術立国ニッポンを支えたひとりでした。


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写真 ディスクヘッドの説明

磁気ディスクと光ディスクの特性や、製品を市場へ送り出すまでのさまざまな現役時代のエピソードなどは、実際の現場を知る人ならではの面白さがありました。


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小樽出身の「遠所もん」の松田さんから金沢の歴史や見どころなど、改めて教えられた今回のサロンでした。



第33回 国際ポットラックサロン「新おもてなし考」
2008年8月6日(晴)

Friendship Doll 青い目の友情人形 

―桜とハナミズキの知られざる関係も-

語り手:村本 外志雄 さん       

「石川民俗の会」村本さんは戸板小学校在職中、永久保存文書の中に「昭和2年 アメリカ人形受領」の一行を見つけました。


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そして15年後のページに「焼却処分」の文字も。


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石川県に残る3体の人形1927年(昭和2年)

「アメリカから遥々太平洋の波を越えて」(当時の新聞より)やって来た、
およそ1万2000体の友情人形たちの使命と、その後を伺いました。  

国際派日本人養成講座 」より


パスポート持参はユーモア?

石川県には205体が届きました。


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金沢市内の小学校で開かれた盛大な歓迎会やって来たのは青い目をした40センチの抱き人形。
ma-maと泣いて金沢の子ども達を大笑いさせたとお礼の手紙にはありました。


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英語で書かれた礼状の写し「ママ」とは、金沢言葉では「飯」ですから「ごはんちょうだい」(?!)

子ども達にとってはちょっとしたカルチャーショックだったでしょうね。

「返礼は無用」と発案のギューリック博士でしたが、律儀な日本側(渋沢栄一)は
クリスマスに間に合わせてりっぱな答礼人形58体を贈りました。


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ミス石川は振袖姿、立派なお道具一式も答礼人形は倍の80センチで一流の人形師がこしらえたものでした。


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髪や衣服が乱れていますが、いじめられたのではありません。着付けができなかっただけです。

◇ 文化の違い?

アメリカでは人形は抱いて遊ぶもの、我が国では古来魂の宿る「ひとがた」。

そのせいでしょうか「人形はスパイである」なんていう感覚が生れたのは・・


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人形を抱くHannaちゃん11才(英国チェルトナム市)

昭和18年ごろ反米感情の高まりとともに友情人形を追放する動きがでてきました。


多くの人形が焼かれたり壊されたりしました。
子ども達自身の強い意志も相当に働いたようです。 

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そんななか、生き延びた人形が全国で305体確認されています。

石川県は3体、富山県は4体、長野県は28体とダントツです。

逆に福井県、鹿児島県はゼロ。「真面目にやったのでしょうか」と村本さん。

石川の1体は校長が「奉安殿」に隠して終戦を迎え、のち学校の倉庫の片隅に隠されたまま
30年の歳月が流れました。

輪島市西保小のメリーちゃん別の1体は、幼稚園の主任の願いで地元の旧家の土蔵にかくまわれました。

津幡町実生保育園のジェーン・オルフちゃん「人形には罪がない」

人間としての当たり前の感情と「冷静な知性が勇気ある行動」(長野県教育委員会)に結びついた結果の
3体です。

 
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余談ですがアメリカへの敵愾心を煽るためになされたことは色々あります。

□ 敵性語の追放や、米国から贈られたハナミズキ (花言葉は友情)が伐られました。


※日比谷公園に植えられた木は、これ見よがしに伐られましたが、小石川植物園、都立園芸高校の原木は
残っています。

*小石川植物園のものはのちに枯死 また原木と見られる木も都内数ヶ所の公園で生き延びています。      


♪薄紅色の可愛い君のね 果てない夢がちゃんと 終わりますように

       君と好きな人が 百年続きますように…  一青窈「ハナミズキ」より

この歌が「9・11テロ」をモチーフに戦争と平和を歌ったことは、サクラの苗の返礼として1915年に贈られたハナミズキにとっては皮肉な歌とも言えます。



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◇「戦争中、英語を禁止した」と言われていますが、文部省にしろ、他の省庁にしろ、明確な「英語の禁止令」を出したことはないそうです。

英語禁止はあくまでも民間やマスコミの過剰な自主規制にすぎなかったという見方もあります。


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◇ ハナミズキの木が公的機関で守られたということは、日本の民は「よらしむべし、知らしむべからず」ということでしょうか・・・

人形が少数の気骨ある人たちによって守られたことを考えると、戦後の日本はリーダー教育を誤ったという気がするのですが。 (文責:中島)